旅一座の子供の将来を思う

しばらく間が開きましたが、
再び奈良は榛原のやまと座にやってきました。

大衆演劇を観ることになりますが、
前回とは違って少し毛色の異なる旅一座です。

一ヶ月毎に別の一座がやって来ては月単位で興行し、
翌月には別の場所へと旅する一座
でも今回は幼い子供の姿がありました。

一座の子供なのでしょう。
これほど幼いころから舞台に立ち
そして芸を磨いてゆく。

ひと昔前の時代劇に出てくるような情景を
おチュウは今の世に目の当たりにしたのです。
そして、はて? 待てよ
歌舞伎の世界でも同じような光景を見たな

立場は違えど、
このような代々受け継がれていく家単位の芸というものは
共通したものであるのでしょうねえ

そもそも歌舞伎自体も
その昔の旅一座の発展したものであることからすれば
通じるところは当然あるわけで ‥‥

しかし、いずれも子供の人生の選択肢は
今の世にありながら
ずいぶんと間口の狭いものであることは否めません。

ここから逸脱しようとすれば、
それは膨大なエネルギーがいることでしょう。

この子の演技をみながら
ついつい好きな道であってくれよと
おチュウは思ったのでした。