伏見稲荷大社の狐のおどろおどろしさと最近のキャラ化に見る日本人の心の変化

この狐は神様の使いだそうですが‥‥

どうですか、この鋭い目・顔全体から醸し出す迫力

ところが本殿横のお守りやおみくじ売り場では、可愛く愛らしいキャラと化したきつねさんグッズが売られていました。

このギャップをどう考えたらいいのか?

おチュウは悩んでしまったのです。

創建当時と比べ、著しく科学が発達し、文化は成熟、人々の生活レベルも格段に上がった現代社会です。

飛行機が飛び、車が走り、スマホ片手に通信できる‥‥

そんな世の中で人々が選んだのは、怖れを抱かせる狐より可愛いきつねさんキャラだった!

衝撃です

どう考えても納得できません 🙁 

要はいろんなものが進化したけれど、精神面は後退してしまったってこと?

その結果、世の中はきつねさんキャラを選択した?

無論、日本人が選んだわけで‥‥、ということはキャラ的性質が今の日本人の心に親和性があるってことですか?

いや、昔の人も信仰を離れれば可愛いものが好きだったのかなあ?

だとすれば、昔からキャラがあってもいいんだけど‥‥

きっと、日本人の心が幼くなったんだ

でも、キャライコール幼いって考えるのは短絡的じゃないか???

というわけで、おチュウの自問自答は際限なく続いたのです。 😯 


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進む晩婚化の中忘れがちなこと

おチュウが20代のころ、男性は28歳、女性24歳あたりが結婚適齢期でした。

しかし、近年ずいぶん晩婚になり、子供が生まれるのも40前なんてざらにあります。

先日、会社の元同僚にあったのですが、今67歳

すでに退職していますが、まだ就職先を探しています。 🙁 

なぜ? 結婚が遅く40歳代だったものだから、子供はまだ大学生

働かざる負えないのです。

若いころはずっと働けばいいんだと思うわけですが、

それはその時の自信ある体力で考えてしまうからです。

60代後半の体力ってどんなものなのか想像もつきませんから‥‥

彼もずいぶん疲れが目立っていました。 😕 

残念ながら時間は後戻りしない。

前にしか進まないのです。

若いころ一度だけ年寄りに瞬間移動でき戻って来れるのであれば、

ずいぶんその後の生き方も変わるはずなのですが‥‥

科学の進んだ昨今、各年代の体力を疑似体験できるようなマシンやらできないものかとふと妄想


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新成人のころに思いを馳せて

昨日ゆうチュウさんとラーメン屋に行くことになり歩いていると、振り袖の女性に会いました。

滅多に着ない着物になんとなく動作がぎこちなく、それがまた初々しさを醸し出していたのですが‥‥

そうか! 今から成人式に出席するのだと気づく 😐 

彼女にとっては大きな区切りの日に違いない。

その緊張感もぎこちない動作に出ていたのでしょうね。

一方、おチュウはすっかり成人式という儀式自体忘れていたのでした。

大人になってすでに40年以上の歳月が流れているのだから‥‥

しかし、たしか成人式には出席しなかった。

生まれて20年経っただけだ! 

成人?それがどうした! 中身は何も変わらない

当時そんな風に思い、ちょっと尖ってひねくれていたのを思い出した。

すれ違った晴れ着姿の女性はどうなのだろうか?

心の中まで読み取ることはできないが、

一生に一度だけだから出席しておいてもよかったと心の底で後悔している自分に気づいた。

成人式の思い出なんて何もない。

 


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世の中騒がしくとも方向性乏しく‥‥

心の中はもやもや感です。

昨年末から、例の人の逃亡劇やら、IR関連でお金もらった人たち、

米国とイランの小競り合い、それを受けての年初株価の大変動など

2020年はもう少し静かな船出をと期待したのですが、世間が騒がしいのです。

しかも、各々の事件に関して情報が氾濫しており、

さらに飛ばしやフェイクが加われば、何が真実なのかもわからない。 🙁 

記事を読んでは一喜一憂ではないけれど、いちいち反応していては精神状態がぐちゃぐちゃになるわけで‥‥

どうせ一般大衆のおチュウでありますから、

怒ったところで何の突っ張りにもならないのはわかっているのです。

そこで、すべてが終わり事が明らかになるまで意識の外に置くことにしました。

傍観とも言うようですが‥‥

すると、随分心が落ち着くのです。

後は頼んだよ的に、一線を退いた感が出てきまして、

ひょっとしてそんな状態の人を、隠居とか? さらに浄化が進むと仙人とか? 言うのかも 🙄 

俺、仙人に向かってんの?

まあ、先日散策した折に見た空の青さが、あまりに世の中のごちゃごちゃと対照的だったもんで、つい愚痴ってしまったのです。


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今年の目標っていつまで意識できるか?

大体こんなタイトルを掲げること自体どういうことなのかおわかりでしょうねえ

毎年年頭にあたり、懲りもせず今年こそはと目標を設定するわけです。

スタートラインは気持ちのいいものです。

まだ始まっていませんからなんでも目標にできる 😉 

ところが、一週間、二週間、一ヶ月‥‥

徐々に崇高な目標は色あせていき、

そして忘れ去られていくのであります。

再び脚光を浴びるのは今年も残り少なくなってきてからです。

日記を見て思い出し、できなかった正当な理由を探そうとする。

そして、再び新年を迎え飽きもせず目標設定

もう何十年とこんなことやってるんですけど、

いい加減に卒業しなければ残りの人生も少なくなってきているわけで、

気がつけば死後の目標設定をやりかねません。 😯 


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