手押しポンプを見つけて感動

天満宮を出てすぐに目に留まったのです。 😀 

これって、ひょっとしてあの懐かしい手押しポンプじゃないか!

だとすれば、この下には井戸があるはずなんだが‥‥

その存在自体もう忘れていましたが、それは地味にひっそり立っていました

子供のころ母親の実家の横にあったものと同じだ。

柄が付いてないようだけど、使用時だけ取り付けるのだろうか

あのころ水道水を使用していない家庭がけっこうあって、

井戸水をくみ上げて顔を洗ったりするのに、毎朝ギコギコやっていた。

水は遅れて出てくるのですが、ギコギコを止めてもしばらくは水が出続けたんだ。

そんな記憶があったなあ。 😕 

お前やってみるかと言われたことがあった。

でもけっこう重たくて力がいって、柄の部分を下ろすことさえできなかった。

あの感触が今でも残っている。

もうてっきり世の中から消えてしまったのかと思っていたけど、

まだあったんだと感慨ひとしお 🙄 

しばし、対峙し眺めておりましたが、

道行く人は不思議な顔でこちらを見ながら通り過ぎていきました。


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デリバリーを出前と呼びたくなるおじさん心理

そこには歴史があり深い溝があるのです。

おじさんたちは子供のころ出前に憧れていました。 😉 

出前はご馳走であり、多くはカツ丼やラーメンだったかもしれません

今の時代、あまり大したご馳走ではないでしょうねえ

昼の空腹を満たすちょっとした料理に過ぎないのかもしれません

でも、昭和の時代子供にとって出前で配達される料理はみなごちそうでした 😀 

だから、未だにカツ丼を出前で頼みたくなり、当時の夢を見るのです

なので、デリバリーが花盛りの昨今ですが、デリバリーとはあえて言うたくない。

カツ丼の注文は気が付くと出前と呼んでしまっている

バーガーやチキンはデリバリーで全然かまわないのですが、

ことラーメンやカツ丼といった日本古来の飯の類いは出前でないと駄目

デリバリーではしっくりこない!

まあ、個人の問題ですから、こんなことブログに書くほどの内容でもないのですが‥‥

先日茶屋町をうろついてますとデリバリーのバイクが並んでいたもので、

ちょっと思ったところです。


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凧あげの不思議

先日扇町公園に行くと、グラウンドで凧を揚げている少年がいました。

なるほどねえ 😀 

やはり正月といえば凧か‥‥しばらく懐かしさで眺めていました。

おチュウも子供のころ凧を揚げましたが、

なにしろ家の周囲が田んぼだったため、場所を気にすることはありませんでした。

今では凧揚げしようと思っても、場所を探すのが大変だ!

しかし、こうして見ていると、なぜ凧揚げは正月前後の冬場だけなのか?

そんな疑問が沸いてきたのです。

別に、春でも良いし、夏や秋でも問題はないはず

というか、そもそもなぜ凧を揚げるのかという疑問さえある。

凧を揚げて‥‥楽しかったか??? と自問自答 🙁 

強いていえば、他にすることがなかったから‥‥と言えなくもない

遊び友だちがいる場合、みんなで凧なんか揚げなかった

別の遊びをしてたよなあ

ということで、突き詰めてみれば、遊び友だちがいなくて一人で何もすることがない日、

しょうがないから凧揚げでもするか‥‥

そうだったのか???

わからん!

そもそも、そこまで考えなかった

しかし、なぜ凧揚げは冬場だけなのか?

それもわからん

ただ、冬以外の季節は他に遊ぶことがいっぱいあった様な気はするけどね

まあ、今となってはどうでもいいんだけど


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土塀で囲まれた豪邸の記憶

生まれ育った実家の近くに土塀で囲まれた豪邸がありました。

昭和30年代のことで、周囲は普通の民家と田んぼや畑ばかり

その豪邸が浮いてしまうほど目立つ存在でした。 😀 

むろんおチュウの家もごくごく普通の民家でした。

で、その豪邸の土塀に沿って道がありまして、

小学校の通学には土塀伝いに細い道を毎日歩いていたわけです。

でも、塀は高く中の様子は全くわかりませんでした。

ただ、邸内に入ったことが一度だけありました。

それは、第2室戸台風がやって来た日のことです。

実家の屋根が吹き飛ばされたため、家族でやむなく避難させてもらいました。

土塀の中は広大な庭があり、暴風なのに家の中は静まりかえっていました。

あれは昭和36年だから、小学校一年生だったはずです。 😕 

豪邸の人々はその後事業が失敗したためどこかに去ってしまったようですが、

家だけは買い手も付かず、その後も空き家で存在していました。

大きな家に住むことだけが良いことでもないなと思いましたが、

先日奈良で、土塀(写真)に挟まれた道を歩いたのですが、

あの頃の豪邸の記憶が蘇り、同時に塀の向こうはどうなっているのか、

少々気になってしまいました。 😐 


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サンドイッチの記憶

子供のころ、海南から路線バスに乗り和歌山市内の本町二丁目まで行き、

丸正百貨店に連れて行ってもらうのが楽しみだった。 😉 

当時、丸正百貨店は和歌山随一のデパートであり、田舎の人間にとって憧れたった。

近辺には、紀陽銀行本店や本の宮井平安堂、ブラクリ丁などがあり、

おそらく和歌山市の中心地であったのだろう。

海南は隣町だが路線バスで1時間程度の距離だったと記憶している。

最寄りのバス停が始発であったため、いつも最前列の良い席に座ることができた。

よそ行きの服を着せてもらい家族4人朝から出かけるのだが、まず丸正で遊んだ後、

昼食はブラクリ町近くのとんぶんでとんかつを食べるのが最上のご馳走!

ブラクリ町を散策し、喫茶レインボーで休んだ後、再び丸正に立ち寄りサンドイッチを買って帰った。

パンが柔らかく適度にマヨネーズが効いていてとてもおいしかったのを記憶している。

後の人生は、あのサンドイッチの味を背負って生きているともいえる。 😀 

つまり、いつどこでサンドイッチを食べるにしても、丸正のそれとの優劣を考えてしまう。

つまり、サンドイッチ評価の指標となってしまった。

もっとも、丸正に行けたのはおそらく数ヶ月に一度程度だったのだろう。

当時父親は本町二丁目の紀陽銀行に勤務していたから、丸正とは目と鼻の先、

休日にもかかわらず朝からまた出勤するようなもので、内心うんざりしていたのかもしれない。

まだ小さかったため、そんなことには考えが及ばなかった。 😕 


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