デイアモール

大阪駅前第二ビルに出かけました。

建物の古さも手伝って、

ここはいつになっても昭和の香りがします。

それはそれで

おチュウによっては何となく気の休まる空間であります。

昭和生まれ同士の親密感があり、

お互い長くやってるなあと励まし合いながら ——。

 

帰りは、

デイアモールを通り抜け、

JRで帰ることにしました。

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広い空間に出た瞬間、

環境は一変し、

広い通路の中央にはツリーが飾られ、

完全にクリスマスの装いです。

比較的人通りの少ない時間帯なのでしょうか、

ゆったり時間が流れています。

椅子が並べられ

天井も高く

空間に余裕があります。

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比較的新しくできたせいか、

ハイセンスを感じさせ、

ここは平成の世の中です。

 

おチュウのような田舎で育った人間は、

少し緊張感が芽生えて、

背筋を伸ばして歩きがちになります。

 

大阪は少し歩くうちに、

心の中に別のおチュウを出現させてくれる

面白い街ではあります。
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石焼きいも 今昔話

石焼きいも専門店のようですが、

ブームなのでしょうか?

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焼きいもを連想させる色の店ですが、

このところ暖かい日が続くから厳しいかも知れません。

営業は冬場だけなのだろうか?

夏場はどうするのか?

どれくらい売り上げがあるのだろう?

月いくらで借りているのかな?

 

お節介にも人の心配しながら、

おチュウは子供の頃の石焼きいもの情景を思い出していました。

 

昔は北風の吹く寒い日に、

“石焼きいも~焼きいも~”と叫びながら

行商のおっちゃんが回ってきたものですが、

こたつにくるまっていると、

遠くから声が聞こえてきて、

アツアツの焼き芋を連想させ

食べたいという欲望を喚起させる時間的余裕がありました。

 

声が近づくにつれ、

益々欲望は膨らんでいき、

決断出来ずにいると、

通り過ぎ

徐々に声が小さくなっていく。

 

ドップラー効果というやつでしょう。

波長が変わった頃から、

取り返しのつかないことをしたという後悔が

心の底から沸き起こってきて、

思わず行商のおっちゃんの後を追ってしまう。

そんな駆け引きがありました。

 

今振り返ると、

知らず知らずのうちに心理戦を仕掛けられていたのでしょう。

平たく言うと、

おチュウはまき餌でおびき寄せられエビに食いついた魚だったんです。

ただし、お金持ってないからせいぜい買って一個か二個。

小物ですね。

鯛ではなくハゼか豆アジ

 



時空の広場にて

ここはJR大阪駅 時空の広場

一対の雪だるまと和ろうそくみたいな塔が入った

四角いユニットが整然と並んでいました。

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夜のイルミネーションなのでしょう。

きっときれいだと思います。

ロマンチックを求める人たちでにぎわうのでしょう。

後方の屋根からぶら下がっているスダレを横にしたようなものも

夜になると輝きだすのかも知れません。

 

でもこれだけ広場全体を占める夜仕様のセットを昼間見ても、

花火大会の翌朝の雑然とした屋台みたいな

祭りの後に漂う虚無感におそわれてしまいました。

 

やはり近いうちに夜も来よう。

おチュウはそう痛感しましたが、

人気もなく

昼間なのに寒々とした印象を受けてしまい、

少し妙な気分が味わえました。


この子たちの明日

小春日和です。

太陽と青空に誘われたのでしょうか?

扇町公園の片隅で和やかなひと時を過ごしています。

幼稚園児か保育園児か区別はつきませんが、

ここなら車もなく安心して遊べるのでしょう。

先生も安心ですね

 

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はるか広場の向こうには、

高層ビル群が建ち並び、

あわただしい日常生活が営まれているはずですが、

そんな生活とは無縁のこの空間で、

園児たちは自分たちの世界に没頭して遊んでいます。

 

しかし、

このような都会で育った子供たちは

将来どのような大人になっていくのでしょうか。

 

少なくとも、

おチュウの過ごした周囲が田圃と畑だらけの環境とは

別の感覚を持った人に成長していくのでしょう。

 

この子たちが将来大人になって、

はたして日本人として共有できることがあるのかどうか、

あればいいなあと思いながら

横を通り過ぎました。


海難 1890

久しぶりの映画です。

和歌山出身者のおチュウとしては是非見てみたくなりました。

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ネタバレになるので、

細かい内容は語りませんが、

明治時代、串本の漁民たちがトルコの軍艦の座礁で投げ出された人々を

命がけで救ったという史実に基づいた話です。

和歌山県人にとって一度は聞いたことのある話でもあります。

 

映画内容とは別に感じたことがあり少し話します。

和歌山なまりについてです。

 

当然 話の内容からして、

日本人はほぼ紀州弁のオンパレードですが、

そのリアリテイに接するにつき、

むず痒さを感じ、

和歌山育ちであることを思い知らされたのでした。

 

県内で一生を終える場合であれば

さほどではないかもしれません。が、

外に出て行ったおチュウにとっては、

会話を慎重にさせてきた要因の一つとして、

「だ」と「ざ」の区別ができないこと以上に、

人生に一つの負荷を負ってきました。

 

それが、

スクリーンからポンポン飛び出てきて、

おチュウの心に刺さっていくのですから、

なかなかハードな映画であったことを報告しておきます。

 

和歌山県人でないと理解し得ないのかもしれません。

 

ちなみに、

内容自体は感動的であったことを付記しておきます。