フクロウの置物に人生を教えられる

かつてフクロウの置物を集めたことがありました。

世界各国のフクロウ
日本、イタリア、メキシコ、シンガポール、‥‥

そのうちに飽きてきまして、
場所も取り邪魔でもあり、
安定感の悪いのもはすぐに倒れたりしますし ‥‥

で、数年前に一つだけ残しサヨナラしました。 🙄

残ったのがこれです。
しかし、なぜこれだけ残ったのかよくわかりません。

可愛いとは言い難く、色彩的にも地味ですし、
国籍もどこなのか忘れてしまいました。

ただ安定感はあり地味ゆえに主張もしません。

目立たないのがひっそりと長く存在する理由でしょうか?

そうだった!
人間社会でも出るくぎは打たれるというではありませんか!

ひっそりと地道に生きる。
フクロウさんに教えていただきました。 😉

 

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そこからは何が見えますか

快晴で日差しはありましたが、
初冬を思わせる冷たい風が吹いていました。
なかなか立ち止まって景色を見る気にはなれません。

足早に歩いていると、
川沿いの遊歩道にあるベンチにお婆さんが三人、
陽を浴び座っています。

盛んに語らっているのをなんとなく微笑ましく思い、
写真を撮らせてもらいました。
でも、何を話しているのだろうとふと思いました。

歳はおチュウを遥かに上回っていることでしょう。
どちらかというと
後期高齢の域に達しているのではないかと思うのですが、

そんな人が三人集まって話をするときの内容とは、
いったいどのような内容なのか
おチュウはふと興味を持ってしまいました。

そこからはいったい何が見えるのでしょう。
歩んでこられた人生の頂上近くの景色とは
いったいどのようなものなのか!

おチュウには想像もできない深みのあるものなのでしょうね。

 

 

秋は人生の夕暮れ

どうして秋は物悲しいのでしょうか。

紅葉の桜並木を歩いていても、
なぜか肩を落としているように見えてしまうものです。

ましてや西高東低の気圧配置の日、
北風が吹きすさび
落葉は容赦なく横から吹き付けてきます。
思わず前かがみになりがちで ‥‥。

夫妻でしょうか。
なんとなく人生の後半に至り、
フィナーレに向かう雰囲気を醸し出しているのが不思議です。

これが満開の季節であれば、
同じシチュエーションでもこうは見えないでしょう。

ということで、
おチュウもついつい人生を意識しながら
公園を歩いてしまいます。

ところで、
いつ終わるかわからないのが人生ですが、
そう思っている人に限って
案外先は長いのかもしれません。( ^)o(^ )

柳に風の人生だったか

しだれ柳でしょうか?

見事に二本の木が似た姿で植わっておりますが、
あいにくの無風状態です。

おチュウはふと柳に風の文言を思い浮かべてしまいました。
人生の教訓めいた局面で出てくるあの言葉!

自分はどうだったのか?
問い返していました。

ややもすれば
向かい風に向きになって立ってしまったことも多かった。
時に折れて傷ついたこともあった気がします。

そのうちにそんな些細なことと思い、
さらりとやり過ごす術を知り、
かわすことも多くなったような気もします。

人はそれを老獪さとかいうのかもしれませんが、
見方によっては随分とずるくなったのか
人生経験を積んだと表現するのか
まあそんなことも必要でしょう。

一度きりの人生だから
長く意味ある一生を送りたいのはだれしも思うところ

しかし、今日は風がないなあ ‥‥
柳はいっこうになびかず。

 

人生に思う

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広く晴れ渡った秋の空

 

ときどき淀川が一望できる毛馬の閘門にやってきます。

 

すがすがしい涼風にうたれ、

心が洗われるおチュウです。

 

でも、すべての人が同じではありません。

人、それぞれ歩んできた人生が違います。

そしてその結果今を生きているのです。

 

心の中は千差万別

隣の人の心の中を推し量ることなどできません。

 

でも、この瞬間も心地良い涼風は

万人に等しく吹いている。

だから救われるんだ。

 

おチュウはそう思い毛馬を後にしました。