釣り人の心情とは
おチュウは大阪に来るまでは、釣りを趣味としていました。
何しろ和歌山の海に近い場所で生まれ育ちましたから、幼稚園の頃にはすでに父親に連れられて、浜で釣り竿を出していたのです。
ところが、大阪に来にくると、あまりに梅田に近いため、釣り道具店がないことに気付きました。海も遠い。でも川はある。
水があれば、必ず釣り人はいるものです。
さほどきれいな水質でもない淀川に、竿を出している人々。
置き竿をしてひたすら待っている。
実に不思議な光景です。おチュウにはその目的がよく分かりません。
しかも、タマの大きさは相当な大物を想定した、万全の態勢を覗わせます。
釣り人の血が騒いでくる一瞬ですが、それはそれで次の瞬間我に返ります。
何が釣れるの? 鯉らしいのです。
この泥臭い川の底の方で泥食ってる魚を釣ったところで、一体どうすんねん?
という質問に、遊びですねん。
だろうな。そんな魚持って帰ったところで、どうしようもない。
釣った魚は食べてあげないと!
おチュウは急速に興味を失っていきました。
単に釣るだけの釣りには興味がありません。
冬場投げ釣りをして、寒風に耐えながら何時間も、ひたすら魚の当たりが来るのを待ったのは、釣ったカレイを食べたかったからにほかなりません。
世の中いろんな考えの人がいるものだ。
おチュウの世界とはちょっと違う。
でも獲物を捕らえようという本能的なものは共通しているような気もしました。