野上電鉄の記憶
緑の濃くなった頃、
しばしば丹後鉄道に乗り日本海側を走るのです。
とはいえ単線で車両は1,2両のローカルの世界です。 😉
日本の原風景を肌で感じることができる貴重な場所で、
おチュウにとっては心の安らぎの時間でもあります。
なぜだろう?
たぶん子供のころ似たような光景を見た経験があるからなのでしょう。
同じように単線で車両も1,2両の野上電鉄というのがありました。 😕
地元では略して野鉄と呼んでいましたが‥‥
故郷海南市の中心部と山間部(野上地域)を繋ぐ電車でしたが、
沿線は田舎の風景が続き丹後鉄道とどこか似ているようで‥‥
しかし、随分以前に廃線になりました。
高校時代同級生の多くは野鉄を利用して通学していました。
近所の五歳年上の先輩よっさんが野鉄に就職したことを突然思い出しました。
どうしたのだろうか?
廃線後の行方は知りません。
沿線に親戚があって、小さい頃一人泊めてもらったことがあります。
夜激しく泣き出して、父の弟に迎えに来てもらったことも
誰も乗っていない車両に二人で座っている光景をなぜか突然思い出す。
中学時代バレーボール部に在籍していました。
試合のため終点にある学校まで良く出かけました。
帰りに駅近くの店でお好み焼きをみんなで食べた記憶
近くにその後母校になる海南高校があり、
高校生がやけに大人びて見えた記憶とか‥‥
もはや半世紀前の出来事なので、断片的にした思い出せないけれど、
心の肥料にはなっているんでしょうねえ 😀
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