子供のころの記憶は大人になってみると意外と陳腐なのはなぜ?
小学校低学年の頃、和歌山市内に遊びに連れて行ってもらうのが楽しみでした。
当時和歌山市内の繁華街は本町二丁目で、そこには丸正百貨店やブラクリ丁、喫茶レインボー、宮井平安堂などがあり人で満ちあふれていました。
父親は本町二丁目のバス停近くの紀陽銀行本店に勤務していたため、毎日当たり前のようにその辺りは歩いていたはずです。
当時、サラリーマンの休みは日曜日のみで、土曜日は半ドンが一般的、
なので日曜日は貴重な休息日だったはずです。
ところが、休みたいはずの日曜日は妹と私のために朝早くからバスに乗り、家族4人で再び本町二丁目へ!
そして、日が傾くまで丸正百貨店や、ブラクリ丁の商店街で遊び、昼はとんぶんでトンカツを食べるか丸正の大食堂で日の丸の飾ったお子様ランチ……親はくたくたになって帰るわけです。
当然ながら、翌日からは普段の平日が始まり、また本町二丁目に出勤!
今にしてみれば、すごく残酷なことを強いてしまったと心が痛むのですがね。
もうその父もこの世の人ではありません。
ところで、あの頃の二丁目の紀陽銀行と丸正百貨店を挟む道路は、交通量も多く、子供にはずいぶん広い道だと思っていて、
いかにも田舎から町に遊びに来たんだという、自分ながらに象徴的な道路でもあったのです。
しかし、後年訪れてみるとなんとも狭い陳腐な道路なのに驚きました!
和歌山市出身のゆうチュウさんにそのことを話してみると、それでもあの道路はある時期拡張したそうです。
体の大きさがずいぶん違うため、子供の視界はずいぶん地面に近い、
そのため子供が見える世界は大人とはずいぶん違ったのでしょうね。
そんなことを思い出し、今孫が見ている日常の光景も、大人とは別の世界かもしれないと感じた次第です。