あるのら猫の一生を思う
草むらに何かあるのだろうか?
時々散歩途中の人が足を止めてのぞき込んでいました。
一週間ほど前のことです。
少し気になって、おチュウもその草むらへ
すると、一匹ののら猫が死んでいました。
近所に数匹ののら猫がいることを把握していたのですが、そのうちの一匹でしょう。
見覚えがあります。
が、ここで死体を目撃しなければ思い出すこともなかったでしょうね。
のら猫ですから、この辺を根城にして、その日その日の食糧を確保しさえすれば、何の束縛もなく生きて来れたのでしょうか。
そりゃあ、夏の暑い日も冷房はなく、雪の日も炬燵で丸くなることはかないませんが、
彼にとってはどうでもいい話です。
なぜなら、クーラーや炬燵の存在自体知らないのですから!
そして、彼の生涯はここで終わりましたが、後始末は自然がやってくれます。
日に日に朽ちて行き、いずれ土に帰ればそれで終わり
彼の存在なんて誰も知らないし、ましてや思い出すこともないのです。 🙄
昨日、家の近くで車が止まっていました。
マンション前で運転手が降り立ち、女性に小さな白い箱を渡しているところでした。
猫の遺骨受け渡し現場に遭遇してしまったのです。
おチュウは丁度道を塞がれた格好になりましたが、かろうじて狭いスペースを通り過ぎることができました。
神妙に箱を受け取った女性は、悲しみに打ちひしがれているようでしたが、
きっとその猫ちゃんとは良い思い出がいっぱいあったのでしょうね。
そのとき、ふと、あののら猫を思いました。
今や腐敗が進み、土に帰りつつあるあののら猫です。
でも、そんな猫のことなんか誰も知りません。
それでいいんです。
自由に生き、自由な一生を送ったのですから……