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定年を迎えました。会社とは晴れて縁を切りました。もう自由の身です。

でもそうなって、気づいたことがあります。しがらみはなくなったのですが、何かをしようと思えば、自分からアクションを起こさない限り何も動きません。何もしなければ何もしなくて良いのだけれど、一日何も変わらず終わってしまいます。ある意味すべての行動は自分一人に委ねられてしまったわけです。

会社にいる時は、取りあえず毎朝会社に行くと何か仕事があり、それを始めなければならない義務があります。受動的に始めてしまうと、それに派生して次の仕事が発生し、それをどう対応するかは自分の選択決定です。が、結局最初の始めるところが受け身なので、自分で始めたことではなかったのです。無から有を生む行為ではなかった。長い年月の間に、その辺のところがよくわからなくなっていました。

でも、趣味は違います。利害関係も何もありません。好きだからやっている。それだけ。やりたくなかったら、やらなければいいだけの話です。やるからにはすべて自分でやらなければならないし、面倒くさくなればやめればいいのです。やめて文句を言う他人もいません。

ということで、会社辞めて初めて趣味のしんどさもわかりました。自分でアクション起こさない限り何も始まらない。でも好きでやっているから続いてもいる。現状で立ち止まっていれば、好きなことでもそのうち飽きてくるかもしれない。だから趣味でも前を向いて進まなければならない。そうしないと、気が付いた時には身の回りには何もなくなっている。おチュウはそう思うのです。

それは、趣味の旅にも当てはまります。めんどくさくなれば、旅に出なければいいだけの話です。家にずっといても誰も文句は言いません。でも、出かけなければ何かに出会う可能性も、何かを発見できることもありません。感動を求めて出かけるのです。どこに行くか、何を見るか、どこに泊まるか、すべて自分で考えて自分で決定しなければなりませんが、そうしなければ何も変わらないのです。

学生の頃のように、もう一度一人で時間はあるけれどお金のない旅に出てみようと思います。一人で出かければ時間の制約はありません。逆に、どのように時間を使うかも自分次第です。

もう若い頃の体力はないけれど、体の動く間にあちらこちら出かけて、他の趣味とリンクさせて楽しみたいと思っています。